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最高裁判所第二小法廷 昭和55年(オ)265号 判決

上告人

静岡県

右代者知事

山本敬三郎

右訴訟代理人

堀家嘉郎

御宿和男

右指定代理人

鈴木奎次

被上告人

下山勉

被上告人

下山藤江

右両名訴訟代理人

福長惇

藤森克美

主文

原判決中上告人の敗訴部分を破棄する。

前項の部分につき東京高等裁判所に差し戻す。

被上告人らは、上告人に対し、各八六一万三八九三円及びこれに対する昭和五四年一二月二八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

前項の裁判に関する費用は被上告人らの負担とする。

理由

一  昭和五五年(オ)第二六四号事件

上告代理人堀家嘉郎、同御宿和男の上告理由第一点二、三について

原審の適法に確定した事実関係は、(1) 被上告人らの長男下山靖仁(昭和二八年六月二〇日生、以下「靖仁」という。)は、昭和四六年九月当時静岡県立沼津商業高等学校(以下「沼商」という。)三年生に在籍し、同校における教育活動の一環であるクラブ活動のうちラグビー部に所属してその主将をしていた、(2) 同年九月一二日(日曜日)、静岡市内の草薙球技場において、国体高校ブロック予選の全静岡高校選抜チーム対全愛知高校選抜チームのラグビー公式試合が予定されており、沼商ラグビー部員のうち一名の者が全静岡高校選抜チームの選手として右試合に出場することになつていたため、靖仁は、これを応援しながら見学するべく競技の仕度をととのえて右球技場に赴いた、(3) 同日、草薙球技場においては、右国体高校ブロック予選の試合とは別に静岡県ラグビーフットボール協会主催の社会人チームによる試合が予定され、午前一一時四五分からブイコンチーム対東芝機械チームの試合が行われることになつていたが、ブイコンチーム選手に多数の不参加者があつて定数に達しなかつたため、その試合が中止となつた、(4) そこで、右両チームは、不足する人員を補つて練習試合を行うことになり、同球技場に居合わせた静岡県立沼津工業高等学校(以下「沼工」という。)の岩沢教諭に対し、来合わせていた高校ラグビー部員による補充を要請した、(5) 沼工のラグビー部顧問兼監督であつた岩沢教諭は、クラブ活動の一環として、同日、沼工ラグビー部員のうち全静岡高校選抜チームの選手として出場する部員五名(うち補欠二名)及びその応援及び見学のため部員七名の合計一二名を引率して草薙球技場に来ていて前記社会人チームの試合を観戦しようとしていたのであるが、右試合が中止された場合には社会人チームとの練習試合ができることを予想し、体調不調の部員を除いてユニホーム着用等の用意をさせていた、(6) 岩沢教諭は、社会人チームからの前記人員補充の要請に応じて沼工ラグビー部員に対し「お前ら練習試合をやらせて貰え」と参加を呼びかけたうえ引率して来た部員中七名をそれぞれのポジションを定めて出場者として指名し、さらに付近に居合わせた沼商ラグビー部員に対し「誰か出てやってくれないか」と声をかけ、靖仁をスタンドオフとして指名したほか、他の二名の沼商部員をも出場者として指名した、(7) 岩沢教諭に指名された右一〇名の生徒は、直ちにブイコンチームの補充員として東芝機械チームとの練習試合に参加して競技を始めたところ、試合開始後十数分を経過し、靖仁がボールを持つて突進した際、東芝機械チームの菅司夫にスマザータックルされて転倒し、頸椎第四、第五脱臼及び脊髄損傷の傷害を受け、これによつて翌一三日、静岡市内の病院で死亡した、というのである。

そして、原審は、右実事関係のもとにおいて、靖仁の死亡事故に対する上告人の国家賠償法一条一項の規定による損害賠償責任の存否を判断するについて、沼工の岩沢教諭には他校の生徒である沼商ラグビー部員に対し、当然に指揮監督すべき職務上の義務はないとしながら、同教諭が靖仁ら沼商ラグビー部員三名を指名し、右三名の者を沼工ラグビー部員と同様に自己の指揮監督下に置き、この者らをともに社会人チームの練習試合に参加させたことによつて沼工ラグビー部のクラブ活動そのものの実施を可能にしたものであるから、靖仁を右練習試合に参加させたことは、沼工ラグビー部のクラブ活動の一環として、すなわち、上告人の公務員である岩沢教諭が公権力の行使として職務を行うについてされたものといわなければならない旨の判断をしている。

しかしながら、沼工ラグビー部員の右練習試合への参加が、沼工の岩沢教諭の指揮監督の下に行われたことによつて同校のクラブ活動としての意義を有するとしても、右練習試合における不足人員の補充は社会人チームの要請に基づくものであり、これに応じた靖仁ら沼商ラグビー部員は、ブイコンチームの一員として右練習試合に参加して東芝機械チームと競技したにすぎないのであるから、沼商ラグビー部員の右参加が沼工の岩沢教諭の呼びかけによるものであるとしても、そのゆえをもつて同部員が当然に右競技中同教諭の指揮監督下に置かれたものということはできないし、また、同部員の右参加が沼工ラグビー部のクラブ活動そのものの実施を可能にしたからといつて、そのことから同部員が沼工のクラブ活動に参加したり、又はそのクラブ活動を補助する関係に立つものではないといわざるをえない。したがつて、岩沢教諭が靖仁ら沼商ラグビー部員に対し沼工ラグビー部員に対すると同様の指揮監督を有していたと認められるような特段の事情がない限り、沼商ラグビー部員の右練習試合への参加が沼工のクラブ活動の一環としてされたとみる余地はないというべき筋合であるから、原審が、右特段の事情について何ら審理することなく、単に岩沢教諭が靖仁らに対してブイコンチームの補充員として右練習試合への参加を呼びかけ、ポジションを定めたというにすぎない事実関係を捉えて靖仁が上告人の公務員である岩沢教諭の公権力の行使としての指揮監督下にあつたと判断したことは、公務員の職務行為に関する法令の解釈適用を誤り、ひいては審理不尽、理由不備の違法を犯したものというべく、右違法が判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点をいう論旨は理由があるといわざるをえない。

同第四点について

原審は、先に判示した事実のほか、ブイコンチームは静岡県東部のラグビー愛好者によつて結成されたものであり、東芝機械チームは年齢二二、三歳の者をもつて構成されたものであつて両チームとも実力は同県下Bリーグ上位にあり、従つて高校生に勝る技能、体力を有しているとの事実を確定したうえ、岩沢教諭は靖仁の技能、体力等と東芝機械チームの実力との関係に配慮することなく練習試合に参加させたことにより、技能、体力において勝る成人の菅司夫のタックルを受けたことによつて本件事故が生じたとし、同教諭に靖仁に対する保護監督の注意義務違反があると判断している。

ところで、ラグビー競技は、球を持つて疾走する相手方をタックルで倒して球を奪うことを内容とする格闘技ともいうべき激しいスポーツであつて、競技中相手方と接触、衝突して負傷、死亡するという事故が発生する危険がないということはできないから、高校のクラブ活動として行われるラグビー部の指導者としては、高校生チームを成年男子チームと対戦させるにあたつては、相手チームの技能、体力を考慮するほか、高校生の技能、体力、体調等にも注意し、両チームの技能、体力等に格段の差があるようなときは、その対戦をとりやめるなどして、両チームの技能、体力等の差に起因する不慮の事故が起ることのないようにすべき注意義務があることはいうまでもないが、原審は、この点について、靖仁が補充員として参加したブイコンチームの対戦相手である東芝機械チームについて、単に年齢二二、三歳の者をもつて構成された静岡県下Bリーグ上位の実力を有するとの事実を認定しただけで同チームが高校生に勝る技能、体力を有すると認めるのが相当であるとするにとどまり、本件において、果して同チームの技能、体力が具体的に靖仁ら高校生の技能、体力に比較してどの程度勝つているものであり、従つて高校生を同チーム相手の練習試合に参加させることによつて死亡事故等が発生することを予測させるまでの技能、体力の較差があつたかどうか等について何ら審理しないままたやすく岩沢教諭の前記のような注意義務違反を認定している点で、原審の右認定判断には、過失に関する法令の解釈適用を誤り、ひいて審理不尽、理由不備の違法があるものというべく、右違法が判決の結論に影響を及ぼすものであることも明らかであるから、この点をいう論旨も、理由がある。

以上の次第であるから、原判決中、上告人の敗訴部分は、その余の論旨につき判断するまでもなく破棄を免れないというべきであり、さらに叙上の点について審理を尽くさせる必要があるから、右破棄部分につき、本件を原審に差し戻すのが相当である。

二  昭和五五年(オ)第二六五号事件

上告人は、本判決末尾添付の申立書記載のとおり民訴法一九八条二項の裁判を求める申立をし、その理由として陳述した同申立書記載の事実関係は被上告人らの争わないところである。そして、右事実関係によれば、上告人が原判決により履行を命じられた債務につきその弁済としてした給付は右条項所定の仮執行の宣言に基づく給付にあたるというべきところ、原判決中上告人の敗訴部分が破棄を免れないことは前記説示のとおりであるから、原判決に付された仮執行の宣言がその効力を失うことは明らかである。したがつて、右仮執行宣言に基づいて給付された各八六一万三八九三円及びこれに対する右支払の日の翌日である昭和五四年一二月二八日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める上告人の申立は正当として認容すべきである。

よつて、民訴法四〇七条、一九八条二項、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(木下忠良 鹽野宜慶 宮﨑梧一 大橋進 牧圭次)

申立書

申立の趣旨

一 被上告人下山勉及び被上告人下山藤江は、上告人に対し、それぞれ金八六一万三、八九三円及びこれに対する昭和五四年一二月二八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

との判決を求める。

請求原因

一 上告人(第一審被告・原審被控訴人)と被上告人(第一審原告・原審控訴人)間の東京高等裁判所昭和五三年(ネ)第六九一号事伴について、昭和五四年一二月一一日、上告人の同年一二月二四日付上告状「第二審判決の表示」の欄記載のとおり判決が言渡された。

二 上告人は、被上告人両名から昭和五四年一二月二七日、右判決の仮執行宣言付判決に基づき強制執行を受け、左記の金員を支払つた。

(一) 損害賠償金元金

下山勉 金六〇八万二、五五一円

下山藤江 金六〇八万二、五五一円

(二) 金六〇八万二、五五一円に対する昭和四六年九月一三日から昭和五四年一二月二七日まで年五分の割合の金員

下山勉 金二五二万一、三四二円

下山藤江 金二五二万一、三四二円

(三) 執行費用

下山勉 金 一万円

下山藤江 金 一万円

三 よつて、上告人は民事訴訟法第一九八条第二項に基づき、上告人が被上告人らに給付した前項の金員の合計各金八六一万三、八九三円の返還、並びにこれに対する昭和五四年一二月二八日から返還ずみに至るまでの年五分の割合による損害金の支払いを求める次第である。

上告代理人堀家嘉郎、同御宿和男の上告理由

第一点 原判決は、「公権力の行使」の解釈適用につき、国家賠償法一条、学校教育法二八条四項(現六項)、五一条の各解釈の誤り、判例違背の違法があり、右違法は判決の結果に影響を及ぼすことが明らかである。

一、県立高等学校の教諭は、生徒の教育を掌る(学校教育法二八条四項(現六項)、五一条)。右教諭の生徒に対する教育が公権力の行使に該当するか否かについては、消極説、積極説の対立があり、通説及び裁判例の多くは積極説の立場をとり、原判決もこれに従つているが、いまだ最高裁判所の判例はない。

最高裁判所におかれて、消極説を採用されるのであれば、この点だけで原判決は破棄を免れない。

積極説に立つ場合においては、公権力の行使としてなされる職務執行行為は、当該職員に職務権限が存在することを要件とする。民法七一五条の「事業ノ執行ニ付キ」に関して外形標準説をとつた大審院昭和一五年五月一〇日連合部判決の判旨が国家賠償法一条にも適用されることを判示した最高裁判所昭和三一年一一月三〇日第二小法廷判決(最高裁判所判例集一〇巻一一号一五〇二頁)は、警察官が勤務時間外において自己の利をはかる意図をもつて殺人強盗を行つた事案にかかるものであり、不法行為者が警察官であつて、警察官職務執行法に基づき職務質問権を有していることが前提となつているのであつて、例えば消防士が警察官の制服を着用して、同様な不法行為を行つたとしても、国ないし地方公共団体は国家賠償法一条の規定による損害賠償責任は負わない(今村成和「国家賠償法」(法律学全集九巻)一〇六頁八行目参照)。

また、名古屋市財政局主事が同局所管事務を仮装してなした不法行為につき、市の損害賠償責任を否定した最高裁判所昭和三七年三月二〇日第三小法廷判決(最高裁判所判例集一六巻三号五七九頁)は、その理由の一として「右主事の職務と制度上はもとより事実上も全く関係がない」ことを挙げている(もつとも、右判決は、民法七一五条にかかるものである。)。

このように、判例は公務員の不法行為が公権力の行使または事業の執行とみなされるためには、当該公務員に職務権限があることを必須の要件としており、かかる要件を前提として当該職務権限の違法な行使について外形標準説が成立しているのである。

二、県立高等学校の教諭は、任命権者である県教育委員会の職務命令によつて勤務すべき学校が特定され、さらに勤務校においては校長の職務命令によつて担当すべき学級、教科、時間割、校務分掌などが定められるのである。

従つて、積極説の立場に立つ場合、公権力の行使としての教諭の生徒に対する教育の範囲は、右の各職務命令によつて特定されるのである。県立高等学校の教諭であるからといつて、その公権力の行使は他の高等学校の生徒に対しては及ぶものではない。すなわち、公権力の行使は、当該教諭の一般的職務権限に属することが必要であり、事物管轄を要することについては異論をみない。このことは、積極説の立場の根拠が、教諭は生徒に対して、学校の教育計画に従わせたり、非行に対して退学その他の懲戒を行うから、この点において命令服従を指導原理とする公権力の行使と共通ないし類似するものがある点に求められていることを考えるならば、直ちに納得されるところである。

三、これを本件についてみるに、岩沢教諭は静岡県立沼津工業高等学校(以下「沼工」という)の教諭であり、本件事故によつて死亡した下山靖仁(以下「靖仁」という)は同県立沼津商業高等学校(以下「沼商」という)の生徒であつた。

沼工教諭の一般的職務権限は、沼工の生徒に対するものに限られ、沼商生徒には及ばないのである。原判決は、「岩沢教諭において靖仁ら沼商ラグビー部員三名を指名し、右三名の者を沼工ラグビー部員と同様に自己の指揮監督下に置き」、「靖仁を本件練習試合に参加させたことは、被控訴人の公務員岩沢教諭が公権力の行使としての職務を行うについてなされたものといわなければならない」(一五丁表)としているのであるが、何故に岩沢教諭の指名が靖仁らを自己の指揮監督下におくという法律効果を生ずることとなるのか、またそのことが何故に沼工教諭の靖仁らに対する公権力の行使に当るのかという点についても何らの理由を示していない。

原判決は、前示各法条の解釈を誤り、かつ判例に違反するものである。

第二点 原判決は、「職務を行うについて」の解釈適用につき、国家賠償法一条の解釈の誤り、判例違背の違法があり、右違法は判決の結果に影響を及ぼすことが明らかである。

一、外形標準説は、被害者の信頼保護を要件の一としているのである。「国家賠償法一条は、公務員が主観的に権限行使の意思をもつてする場合に限らず、自己の利をはかる意図をもつてする場合でも客観的に職務執行の外形をそなえる行為をして、これによつて他人に損害を加えた場合には、国又は公共団体に損害賠償の責を負わしめて、ひろく国民の権益を擁護することをもつて、その立法趣旨とするものと解すべきである」とする警察官の不法行為にかかる前出最高裁判所判決の判旨は、被害者からみて公務員の不法行為が正当な職務権限の行使にみえる場合に限つて、同条が適用されることを明らかにしたものである。

このことは、外形標準説を採つた前出大審院判決についてつとに「被用者の行為により真正のものと異らぬ外観が作出せられたこと、第三者がこの外観を信頼したことが必要である」(判例民事法(昭和一五年度)一七九頁二行目から三行目参照)と三宅正男教授に評釈されているところであり、さらに最高裁判所昭和四二年一一月二日第一小法廷判決(最高裁判所判例集二一巻九号二二七八頁)の「被用者の取引行為がその外形からみて使用者の事業の範囲内に属すると認められる場合であつても、それが被用者の職務権限内において適法に行なわれたものではなく、かつ、その相手方が右の事情を知り、又は少なくとも重大な過失によつてこれを知らないものであるときは、その相手方である被害者は、民法第七一条により使用者に対してその取引行為に基づく損害の賠償を請求することができない。」という判決要旨によつても明らかである。右判決の事案は、銀行の手形取引について、銀行員の不法行為による銀行の使用者責任にかかるものであつて、民法七一五条の「其事業ノ執行ニ付キ」の解釈として判示されたものであるが、要するに取引行為の外形が事業の範囲内に属すると一応認められる場合であつても、使用者に対して外形標準説による使用者責任を問うことができるのは、「被用者の職務権限内において適法に行われたものでないこと」及び「相手方が右事情を知り、又は重大な過失によつてこれを知らなかつたこと」という二の要件を欠くことが必要とされるというのである。右判旨は、「被用者の取引行為」を「公権力の行使にあたる公務員の職務執行行為」、「使用者の事業」を「公権力の行使」と読みかえて、そのまま国家賠償法一条の解釈にあてはまるものである。

二、これを本件についてみるに、原判決は、「靖仁は、……その点の思慮をもつてその出場を断わり得たにもかかわらず、他校である沼工の岩沢教諭の呼びかけに無思慮に応じて競技仕度を整え、その指名を待つて右社会人を相手とする練習試合に出場して本件事故に遭遇した」と認定し、これを過失相殺の理由としている(一八丁裏から一九丁表)。

原判決は、「岩沢教諭において靖仁ら沼商ラグビー部員三名を指名し、右三名の者を沼工ラグビー部員と同様に自己の指揮監督下に置き」、これらの者を右試合に参加させたことが同教諭の「公権力の行使としての職務を行うについてなされたものといわなければならない」(一五丁表)として、国家賠償法一条を適用しているのであるが、右に引用したとおり、靖仁には、岩沢教諭には他校の教諭として自分をその指揮監督下に置いて試合に参加させる職務権限がないことを知つていたのであるから、岩沢教諭の右行為によつて、靖仁に対し沼商ラグビー部顧問の行為と異らぬ外観が作出され、靖仁がこの外観を信頼したと解すべき余地はない。

従つて、右最高裁判所判決の判旨に照らすならば、岩沢教諭の右行為については、同条が適用さるべき由もないのである。すなわち、前段に引用した原判決認定事実は、岩沢教諭の行為について外形標準説により同条を適用すべき要件を欠くことに該当するのであつて、単なる靖仁の過失と目することは誤りである。岩沢教諭の行為が公権力の行使であるとするならば、靖仁はこれに従うべき筋合であるから、従つたことが靖仁の過失となるものではないことを考えるならば、原判決の判断の誤りは直ちに納得されるであろう。

原判決は、上告人に損害賠償を命ずることに急なあまり、一に述べた各判例に違背し、外形標準説成立の要件を看過していることは明らかである。

第三点 原判決は、「部活動」における教諭の行為を公権力の行使であると判断した点において、理由不備、審理不尽の違法がある。

一、公務員の職務が公権力の行使に該当する場合と該当しない場合との両者にわたることがある。例えば捜査を担当する警察官が上司の職務命令によつて特定の日には公立警察病院の会計事務に従事する場合には、外形標準説によつても後者についてまでその不法行為について国家賠償法一条の規定が当然適用されるものではない(公立病院の職員については、同条の適用がないことにつき最高裁判所昭和三六年二月一六日、第一小法廷判決・最高裁判所判例集一五巻二号二四四頁)。

二、高等学校生徒のクラブ活動は、法律的には、次の二つに区別される。

(1) 学校教育法施行規則五七条、五七条の二及び高等学校学習指導要領に基づく特別教育活動として、週一時間を単位として教育課程に組み入れられるもので、これには生徒全員が参加する。

(2) 生徒会の各クラブが休日、放課後に自主的に行うもので、これには各クラブに加入している生徒だけが参加する。

原判決も右区別を認識し、(1)を狭義のクラブ活動と呼び、(2)を部活動と呼んでいるのであるが、後者に該当する沼工ラクビー部顧問としての岩沢教諭の職務が公権力の行使に含まれることについては何ら触れるところがなく、当然のことであるという前提に立つて「理由」の記述がなされていることは原判決を一読すれば明らかである。

三、そこで、原判決の誤りを指摘するために、進んで沼工における部活動の実体、法的性質及び顧問たる教諭の権限を明らかにすれば、次のとおりである(末尾添付資料一参照)。

(一) 生徒会は、各高等学校ごとに、存学する生徒をもつて組織されているが、その法律上の性質は、いわゆる「権利能力なき社団」であつて、県又は学校とは別個の独立した権利主体である。生徒会は、生徒の自主的な活動をなすことを目的とし在学中の生徒全員をもつて構成され、会則をもち、独自に決議機関として生徒総会、代議員会、常任委員会等の会議をもち、執行機関として会長、副会長、書記長以下の役員が生徒の選挙によつて選出されて、会則所定の業務を行い、経費は生徒が拠出する会費等をもつて維持される(会則四二条参照)。

このように生徒会は、PTAと類似した権利能力なき社団であつて、ともに学校本来の教育活動とは関係があるものの学校自体の組織ではなく、その活動は学校としての教育活動そのものではない。生徒会は各種クラブ(部)を設けて活動するが、部長はその部に属する生徒の互選によつて選出される。また、各部の計画実施は生徒会ないし各クラブの自主的決定に委ねられているものである。

(二) 教諭は、校長の承認を得て、生徒会の各クラブの顧問となるが、その役割は文字どおり顧問として生徒会長、部長等の相談にのり、助言をするにとどまるものであつて、積極的に生徒会の活動を企画立案したり指揮監督をするものではない。

まさに、生徒会は「生徒の自主的精神に基づいて」運営されるものである(同二条参照)。そして、クラブは、かかかる生徒会活動の一環として、自主的に行われているものである(同三九条参照)。生徒会の活動は、授業時間外若しくは教職員の勤務時間外において行われることが通例であるが、顧問の地位にある教職員が勤務時間外に生徒会の活動に参画するのは、教職員の自発的奉仕的な行為として行われるのである。

すなわち校長の時間外勤務命令によるものではなく、従つて時間外勤務手当は、支給されない。また、顧問の懈怠は公務員としての職務専念義務(地方公務員法三五条)、忠実義務(同法三二条)その他一切の服務上の義務に違反するものではない。

本件事故当日における岩沢教諭の草薙球技場への出頭及び行動もまた右の如き態様のものであつた。

右の如き生徒会のクラブ活動(原判決のいう「部活動」に関与する教諭の行為が公権力の行使ということはできないと解すべきであることは、第一項において述べたところである。

原判決は、積極説の立場をとつて校内における授業、特別教育活動としての狭義のクラブ活動にかかる教諭の権限ないし責任が公権力の行使であるとしているのであるが、それだからといつて「部活動」にかかる教諭の権限ないし責任までが当然に公権力の行使に含まれるとするには論理の飛躍も甚だしい。

ひつきよう、原判決は「部活動」の実体、法的性格、沼工ラグビークラブ顧問としての岩沢教諭の職務権限等について審理を怠り、理由を示さない違法が明白である。

第四点 原判決は、不法行為の成立要件である過失及び因果関係の解釈適用につき、国家賠償法一条の解釈の誤り、審理不尽、理由不備の違法があり、右違法は、判決の結果に影響を及ぼすことが明らかである。

一、原判決は、「理由」「二」「(六)」において岩沢教諭の過失を判示している。要するに対戦相手の「東芝機械チームは、年齢二二、三才の者をもって構成されたチーム」であつて、「高校生に勝る技能、体力を有していたものと認める」ことができる(一六丁表)から「靖仁をブイコンチームの補充員として技能、体力等に勝る東芝機械チームとの練習試合に不用意に参加させたことにより、技能、体力において勝る成人の菅司夫のスマザータックルを技能、体力において劣る靖仁が受けたことによつて生じたものといわなければならない」(一六丁裏から一七丁表)のであつて、これが岩沢教諭の過失であるというのである。

しかしながら、高校生チームが社会人チームと対戦することも決して珍しいことではなく、柔道について、乙五号証、サッカーについて末尾添付資料二の例がある。又、一口に社会人チームといつても、その内にも一流チームから高校生並みのチームもある。現に、沼商、沼工チームは過去数回、東芝機械チーム、ブイコンチームと対戦し、それに勝つているというもので決して、チームとして技能においてこれらの間に格別の差のあるものではない(証人高畑、同岩沢の証言)。仮りに、社会人のチームが高校生のチームに比して一般的技能、体力において差があることのみをもつて、右菅司夫と靖仁とでも、同様な差があつたと速断することができないことは自明の理である。右認定は、両名の技術、体力の差を具体的に比較、認定することによつて、はじめて正当となるのであるが、この点に関する事実認定を欠き、練習試合に参加させたことをもつて過失としているのであつて、この点において過失の解釈を誤つた違法がある。

行政事件訴訟法二四条は、職権証拠調べを規定しているにもかかわらず、原判決はこれを怠り、漫然右の如き認定をしていることは、審理不尽、理由不備の違法がある。

二、かりに岩沢教諭に原判決認定の如き過失があつたとしても、右過失と靖仁の死亡という結果との間に因果関係はない。

死亡事故は高校生が社会人チームに加つてラグビーの試合をすることから通常生ずる損害ではない。過失と損害との間には、訴外菅司夫のタックルという行為が介在し、この行為が事故の直接の原因となつているのであるから、因果関係の中断があるというべきである。この点において、原判決は因果関係の解釈を誤つた違法がある。

そもそも、ラグビーは身体を相互に激しくぶつつけ合う競技であるから、高校生チームの試合にあつても、その性質上不幸にして負傷或はその結果としての死亡等の危険は当然に予測されるのである。

この危険を避けるためには、競技そのものを廃止するほかに方法がないということもまた本件事案の基本的問題として考慮されるべきものと信ずる。

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